『国境のない生き方』

 

ふらっと入った本屋さんでタイトルが気になり、よく調べずに

そのまま購入。こういうのも本を読むことの楽しみ。

久しぶりに本を読んで、何度も涙が出そうになった。

最近の中では個人的にかなりヒット。以下、メモ。

 

審美眼を持つことの大切さは「暮らしの手帖」に教わった。

 

アメリカのスーパーマンを養成するエリート教育は、人をおかしくさせる。
オールマイティーを求められた日には、ヒューマニティーがゆがんでくる。

 

ただ受け入れて我慢することを選んでしまうと、生きる気力みたいな物が
しぼんでいってしまうような気がする。

 

人はどうしたって、行きたい道を往く。

 

自分で動いて痛い思いをしたり、傷ついたり、恥をかいたりすることが必要。
もう駄目だと追い込まれた時こそ、世界に向かって自分を開いていった方がいい。

 

「私はそうは思わない」は、別に相手を否定することではない。
相手のことをきちんと理解したい。対話とはそこから始まるものでしょう。

 

知識を鍛えあげるには、抱え込んでいては駄目で、常にアウトプットして、
人とコミュニケーションすること。

 

異なった背景を持った人達との場所では、「言わなくても分かってくれる」
はあり得ない。

 

人が後天的に押しつけられた制度とか文化とか価値観を取り払うことで、
人間の普遍的で、本質的なものを見極めたい。

 

「それって地球人として、どうなのよ」という感覚は、どこかに持っていたい。

 

鳥たちが風を読み、魚たちが潮目を読むように、人も大きな人生の流れみたいな
ものが、ふっと見える時がある。

 

地球が生きていてほしいと思うような人間にならなきゃいけない。

 

「やっちまった」「しまった」と思って、またやり直しっていうのは、
死ぬまでやっていいと思うんです。

 

生まれたからには、命をもっと使えばいいと思うんですよ。
傷つかないように、大事に守っているだけじゃなくて、もっともっと使わないと。

 

どんな生き物も、それぞれの形、やり方で、その場所に適応して生き抜こうとしている。

 

単純に地球と太陽があって、命を授かったのだから、まず「生きてりゃいいんだよ」
が基本。なぜ生きていくのかとか、仕事がどうとか、人間関係がどうだとか、
そんなものは、あとからなすりつけたハナクソみたいなもの。
ただの生き物みたいに、生きることそのものに夢中になったらいい。